◆2016/8/5

 藤原宇合歿す(737年8月5日)


 藤原不比等の息子4兄弟を襲った疫病
 最後の一人、三男・宇合が歿する

 天平9年(737)、奈良の都を疫病が襲い、その猛威は貴賤関係なく人々を襲いました。

 なんと、当時の政府の高官や皇族なども多く亡くなっています。

 なかでも衝撃だったのが、長屋王の変で最大のライバルを自殺に追いやって以来、
 政権を握っていた藤原四子藤原不比等の男子4人)が、次々と世を去ったことでした。

 藤原ファイブ改
 ▲不比等と4人の男子(藤原四子)「藤原ファイブ」(仮)



 4兄弟の関係~4人の死歿日から


 まず斃れたのが次男の房前(ふささき)でした。これが4月17日のこと。

 少し空いて四男・麻呂が7月13日に、長男・武智麻呂(むちまろ)が25日に亡くなり、
 最後に残されたのが三男の宇合(うまかい)

 聖武天皇の皇后で彼らの異母妹である光明子をはじめとする藤原一族の願いも
 むなしく、ついに最後の宇合が落命したのが8月5日でした。

 彼らのあっけない全滅は、彼らの陥れた長屋王の祟りとも囁かれたことでしょう。



 しかし偶然かもしれませんが、4人のうち房前の歿日だけが離れています

 この4兄弟、年は上から武智麻呂・房前が1歳しか違わず母も同じ蘇我娼子、
 その下の宇合と麻呂はそれぞれ母が異なり、上の2人とは10歳以上離れています。

 そのため、兄弟間の勢力争いとなれば上の2人が中心となるでしょう。
 次男である房前の出世が早く目立ったため、房前が父から後継者と目されていたとされる
 ことが多かったのですが、果たしてどうでしょうか。

 父の不比等の死後に出世したのは武智麻呂でした。
 そもそも房前は父とは別の家として扱われ、長男の武智麻呂こそが始めから父・不比等の
 政治的後継者だったのではないか、という説があります。

 また、長屋王の変では房前の名前だけが出てきません
 房前は兄弟の中でも孤立していた

 房前の病原だけがほかの3人の病原は時期的に考えておそらく違うものでしょう。
 偶然にすぎないかもしれません。しかし、そんなことを考えるのも面白いです。


 [参考文献]木村好信『藤原四子 国家を鎮安す』ミネルヴァ書房、2013年


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