藤原定家歿す(1241年8月20日)
藤原定家は意外と長寿?
小倉百人一首の撰者として有名な藤原定家(ふじわらのさだいえ、「ていか」とも呼ばれる)。
勅撰集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の撰者、歌論書、家集、また古典の書写・注釈に
大きな功績を残し、また日記『明月記』も史料として有用――。
しかし最近は、人気漫画のおかげで、こんなイメージも
▲杉田圭『超訳百人一首 うた恋い。』メディアファクトリー、2010年
年上の式子内親王とカップリングしたせいか、可愛らしいイメージに
でも歿年齢を見てみると、結構ご長寿なんですよね~。
1241年歿で生年は1162年、なんと享年80歳!
しかし父で歌の師でもある藤原俊成(としなり、「しゅんぜい」とも)は、息子を
さらに上回る驚異の91歳!!
ついでに定家の子・藤原為家も78歳と長命です。
これって現代人としても十分長生きの部類に入ると思います
ましてや平安貴族は「四十の賀」を行うほどで、40歳に入れば“老境”ということ。
まさにご長寿三世代ですね。
定家の家系は道長の子・長家から
定家の家系は「御子左家(みこひだりけ)」といい、藤原道長の6男・藤原長家の
流れを汲んでいます。長家は源明子腹の末子でしたが、父からたいへん愛され、
正妻格の源倫子と養子縁組をしています。
長家は後世「四納言」と称された藤原行成の娘と結婚しますが先立たれ、
同じく「四納言」の藤原斉信の娘と結婚しています。
(やはり先立たれ、両者とも定家とは血は繋がっていません)
この長家が俊成の曽祖父にあたります。
ただし、歿年60で目立った長寿ではありません。
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