◆2016/11/11

 有間皇子歿す(斉明4年11月11日)


 大津皇子と双璧をなす悲劇の皇子

 悲劇の皇子といえば真っ先に名が挙がるのが、天武天皇の子・大津皇子。
 そしてこの有間皇子(ありまのみこ)という印象があります。

 有間皇子は、乙巳の変のクーデターの後即位した孝徳天皇の子
 母は阿倍倉梯麻呂(内麻呂)の娘・小足媛。
 640年に生まれており、父が即位したときは6歳でした。

 成長していくと、天皇の息子として皇位継承の可能性が生じてくることになりますが、
 皇太子の中大兄皇子(のちの天智天皇)と不和のまま父天皇が崩御してしまいます。
 その後前代の女帝であった斉明天皇が重祚しますが(孝徳天皇の姉で中大兄皇子の母)、
 中大兄に警戒された有間皇子は狂人を装って過ごしたといわれます。
 しかし結局は謀反を持ちかけてきた蘇我赤兄の裏切りにあって罪を負い
 この日、藤白坂(和歌山県海南市藤白)で絞刑に処せられました。
 斉明4年(658)、まだ19歳でした。



 それにしても……同じ悲劇の皇子でも大津はわりとゴリマッチョイメージなのに対し、
 有間は昔の少女漫画に出てきそうな繊細美少年イメージが形成されていませんか

 有間78
 ▲大和和紀『天の果て地の限り』講談社、昭和54年、78頁。下の女性は主役の額田女王。



 すでに後ろ盾の父を失い、母方の祖父もすでに亡い、弱冠19歳の皇子。

 ただ、最近、有間の父・孝徳天皇の評価へも検討が加えられていますね。
 乙巳の変のクーデターの首謀者、いわゆる「大化の改新」の推進者、中臣鎌足が忠誠を
 つくした相手……すべて孝徳であったと見る向きもあるようです。
 それが真実だとしても、孝徳が崩御するころには、すでに中大兄が力を持っていたのは事実。

 有間皇子の印象も、少し変わってくるかもしれませんね。
 



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