嵯峨天皇陵と正子内親王・恒貞親王陵墓参考地
嵯峨天皇ゆかりの大覚寺そばの陵墓
天皇陵のうち難所の一つといわれる「嵯峨天皇山上陵」参りに挑戦してきました。
さらに、近くにある二つの「陵墓参考地」――それぞれ、
1、嵯峨天皇の皇女で叔父の淳和天皇の皇后となった正子内親王
2、正子の生んだ淳和天皇皇子の恒貞親王(恒寂入道親王)
の陵墓ともいわれている――を訪ねてみました。
嵯峨天皇山上陵
嵯峨の観光地・大覚寺は、嵯峨天皇の離宮が前身となっています。
その大覚寺の北側奥の山上に、嵯峨天皇陵はあります。
天皇陵のうちの難所の一つとして有名ですが、大丈夫でしょうか。
嵯峨天皇の埋葬を史料で確認すると、前日の遺詔の通り、
擇山北幽僻之地定山陵。(…中略…)即日御葬畢。
『続日本後紀』承和9年(842)7月16日条
となっており、「山北幽僻の地」に即日葬られていることが分かります。
この天皇陵が難所とされるのは、山を登らなくてはならないからなのです。
▲嵯峨天皇嵯峨山上陵拝道の碑。陵へ続く階段の下にある。
訪れたのは早朝。実際行ってみると、確かに山ではあるものの、最近新たに整備された
そうで、道(階段)はとても綺麗で快適です!
途中の道を上から振り返って撮っています。
まぁ、結構歩きますね(カクカク曲がる階段をひたすら登り続ける)。
途中で撮影した下界(!)。時折素晴らしい景色が眼下に広がります。
いよいよ目的地が近づいてきました!
何分くらいかかったか計るのを忘れてしまいましたが、晩秋(初冬?)だというのに、
着込んでいたせいもあるでしょうが、すっかり汗ばんでしまいました
ただ、大覚寺からはそれほど離れていませんし、大覚寺までのアクセスは良好ですし、
参道も体力を消耗するとはいえ快適に整備されていますので、怖れるほどの難所では
ありません。ただ、悪天候や暗い中での参拝はお薦めできませんが。
嵯峨天皇、諱は賀美能(神野、かみの)。桓武天皇と皇后藤原乙牟漏との間に
延暦5年(786)生まれる。同母兄平城天皇の皇太弟となり、大同4年(809)即位。
病気のため譲位した兄が平城旧京へ遷り朝政に干渉したため、その勢力を制圧。
その意味では真に「平安京」が定まったのは、遷都した桓武帝の時代ではなく
嵯峨帝の時代であるともいえる。
その後は太平の世が続き、中国風を大いに取り入れた弘仁文化が栄えた。
この陵、私は初めて体験することだったのですが……
なんと、この脇から入ることができ、陵の外郭を一周することができるのです!
立ち入り禁止の札とかなかったし、道にもなっているし、多分OKなんだと思います。
一周といってもほんの1~2分で周ってしまうのですが、ちょっと感動でした
円山陵墓参考地(淳和天皇皇后・正子内親王陵?)
正子内親王は嵯峨天皇皇女、母は“檀林皇后”橘嘉智子。
嘉智子にとっては初めての子となります。
同母弟に仁明天皇がいます(双子という説もあります)。
仁明天皇の先代で嵯峨天皇の異母弟にあたる、淳和天皇の皇后となりましたが、
淳和の崩御後は尼となっていました。
正子の生んだ恒貞親王は仁明天皇の皇太子に立てられていましたが、
嵯峨天皇崩御の2日後、謀反を疑われる騒ぎが起こり、結局廃太子されてしまいました。
承和9年(842)の 承和の変 といわれる事件です。
恒貞親王は承和の変ののち、疑いは晴れたものの閑居して仏道に精進していました。
嘉祥2年(849)三品となりましたが、出家して恒寂入道親王を名乗りました。
貞観18年(876)、正子は嵯峨離宮を大覚寺に改め、恒寂は初祖となりました。
二人の陵墓が大覚寺付近にあることは自然であると思われます。
正子陵と推測されている円山陵墓参考地は、京都府立北嵯峨高校の北西側、
グラウンド傍の小山になっているところです。
脇に細い道があり、突き当たりに上の写真の札が立っています。
参考までに、グラウンド沿いの道から見た塚の様子。
入道塚陵墓参考地(淳和天皇皇子・恒貞親王墓?)
次に北嵯峨高校の南東側(グラウンドではなく校舎側)へ回ると、
正子内親王の生んだ恒貞親王の墓と言われている小塚があります。
恒貞親王は悲劇の親王ですね。
参照 : 「承和の変」をもっと詳しく! (過去記事)
参考までに、小塚の様子を遠くから。
写真中央付近に上の写真の札が写っています。
塚と札は学校のすぐ脇にありますが、校舎内ではない?ようなので、
畑の畦道を通って近づくことができます。
二つの陵墓参考地、位置関係を分かりやすくするために、Googleさんの航空写真を
加工したものを貼っておきますね。
嵯峨天皇山上陵も二つの陵墓参考地も大覚寺からさほど離れていませんので、
大覚寺観光のついでに回れると思います(嵯峨陵はちょっと山を登りますが)。
親・子・孫三代のお墓詣りとなります!
ただしくれぐれも、いずれも明るい時間帯に訪れてくださいね。
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