東博で今見られる「御堂関白記」部分を紹介
藤原道長の日記、自筆部分の有名な箇所
世界記憶遺産「御堂関白記」(みどうかんぱくき)は、日本人なら誰でも知っている
千年前の最高権力者・藤原道長の自筆部分が残る日記です。
自筆部分は巻子の形態をした暦(具注暦、この部分は道長の筆ではない)に
設けられた余白の書き込み部分に、道長が直接書き入れています。
あまり書かれていない箇所もあれば、はみ出しあり、引き出した書き込みあり、
誤字あり脱字あり、裏書あり(さらに後世の子孫による裏書まであり!)の
躍動感あふれる貴重な史料となっています。
現在開催中の、東京国立博物館の特別展「春日大社 千年の至宝」では、
その「御堂関白記」も一部出展されています(3/12まで)。
前期の展示は自筆部分ではありませんでしたが、現在展示中の後期展示は
道長の自筆部分にあたっているので、さらに要注目です
春日祭勅使の嫡男・頼通を心配する道長の和歌
長保6年(寛弘元年、1004)2月6日条
展示されているのは、ここが出てくることが多い気がする有名箇所!
長保6年2月6日条の、和歌の遣り取りを記載した箇所です。
実はここの記載は、具注暦に書き込んだ表書きの部分ではなく、
その裏に書いたいわゆる「裏書き」にあたります。
▲2013年の東博特別展「和様の書」にて販売された<御堂関白記セット>のハガキより(部分)
▼ちなみに<御堂関白記セット>全体写真:商品解説は過去記事へ
裏書きですので、普通の紙につらつらと記した形になっています。
なぜ今回ここが展示されたかといいますと。
この日は道長の若い嫡男・13歳の藤原頼通が勅使となった春日祭の当日。
実はこの日の表書き(具注暦への書き込み)には
「従暁雪下、深七八寸許。左衛門督許送消息、有和歌、有返」とあり、
・暁から雪がたくさん降ったこと
・藤原公任(=左衛門督)へ和歌を添えた書状を送り返事が来たこと
が記されています。
展示中の裏書きは、その具体的な和歌を記した内容になっているのです。
さらに 花山院 からも和歌が送られ、道長が返歌をした旨も記されています。
参考までに、和歌の部分を色カギで囲って読みを記してみました。
わかなつむかすかのはらにゆきふれはこゝろつかひをけふさへそやる(①道長)
みをつみておほつかなきはゆきやまぬかすかのはらのわ[か]なゝりけり(②公任)
われすらにおもひこそやれかすかのゝをちのゆきまをいかてわくらん(③花山院)
三かさ山雪やつむらんとおもふまにそらにこゝろのか[よ]ひけるかな(④道長)
①若菜摘む春日の原に雪降れば心遣ひを今日さへぞやる
②身をつみておぼつかなきは雪やまぬ春日の原の若菜なりけり
③我すらに思ひこそやれ春日野のをちの雪間をいかで分くらん
④三笠山雪や積むらんと思ふ間に空に心の通ひけるかな
雪降る春日の原の若君(頼通)を心配する道長の親心、頼通と心を砕く父道長を
思いやる公任、さらに花山院まで「をちの」(遠くの)春日野の雪を踏み分ける頼通を
案ずる歌を道長に送ってくる……
なにが書いてあるかわかると、実際に目にしても楽しいですね。
それにしても、のちに「ミスター関白」と呼ばれる(いや呼ばれてない、私が勝手に命名)
藤原頼通の若君時代。パパ道長が微笑ましい遣り取りです。
日記の表書きには簡潔に出来事を記し、書き切れない(であろう)実際の和歌などの
詳細は裏に書いたという使い分けでしょうか。
[参考文献]
東京国立博物館ほか編、図録『特別展 春日大社 千年の至宝』2017年
東京国立博物館ほか編、図録『特別展 和様の書』2013年
倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』講談社、2013年
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