平安初期、唐へ渡り日本に真言密教をもたらした真言宗の祖・空海。

 書や漢詩の名手としても知られます。
 桓武妃酒人内親王のために代作した遺言が『遍照発揮性霊集』(=『性霊集』)
 に収められ、確認したことがありました※が、
 今回は同じ『性霊集』から、京の神泉苑を詠んだ漢詩をながめてみます。
   ※桓武妃酒人内親王の遺言 (過去記事)

 神泉苑は現在も京都にあり、現在の規模は縮小されていますが
 往時は8町という広大な位置を占めた禁苑です。
 桓武天皇によって延暦13年(794)に平安京へ遷都されましたが、
 禁苑はそれよりほどなく造営されました。
 天皇の遊覧、花見、祈雨、相撲、菊花の宴などが催されました。
   神泉苑について詳しくは過去記事

 * * *

 『性霊集』は弟子が編纂した空海の漢詩集。

 空海神泉苑1

   秋日観神泉苑
 彳亍神泉観物候  心神怳惚不能帰  高台神構非人力
 池鏡泓澄含日暉  鶴響聞天馴御苑  鵠翅且戢幾将飛
 游魚戯藻数呑鉤  鹿鳴深草露霑衣  一翔一住感君徳
 秋月秋風空入扉  銜草啄粱何不在  蹌蹌率舞在玄機

      『遍照発揮性霊集』巻第一



  秋日観神泉苑を観る
 神泉に彳亍(てきちょく)して物候を観る
 心神怳惚(こうこつ)として帰る能はず
 高台は神構にして人力に非ず
 池鏡は泓澄(こうちょう)として日暉を含む
 鶴響天に聞こえて御苑に馴れ
 鵠翅且(しばら)く戢(やす)めて幾(ほとん)ど将に飛ばんとす
 游魚藻に戯れて数(しばしば)鉤を呑み
 鹿深草に鳴きて露衣を霑(うるほ)
 一翔一住君の徳を感じ
 秋月秋風空しく扉に入る
 草を銜(ふく)み粱(あは)を啄んで何(いず)くにか在らざる
 蹌蹌として率舞して玄機に在り



  秋日観神泉苑を観る 七言
 神泉苑を散策して季節の変化を観察すると
 心はうっとりとしてそこから帰ることができない
 高い台閣は神の作られたもののようで、人の業ではない
 鏡のような池は澄みわたり、日の光を包み込む
 鶴は天まで聞こえる声を響かせ御苑に馴れており
 鵠(こうのとり)はしばらく羽を休めて今にも飛び立ちそう
 魚は藻草の間を泳ぎ回って時折鉤を呑み込み
 鹿は叢の奥で鳴き、わたしの衣は露に濡れる
 神泉苑の空を翔ぶ鳥も地に住む魚や鹿も、天皇の徳を感じ
 秋の月と秋の風はめでる人もないまま扉のうちに入ってくる
 鳥獣が草を食み粱を啄んでそこらじゅうにいる
 ゆったりと連れ立って舞い深遠な道理の中にいる


 [参考文献]『弘法大師空海全集 第六巻』筑摩書房、昭和59年



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