井上内親王・他戸親王母子、同日に歿す


 五條市では井上内親王史跡マップ製作も


 宝亀6年(775)4月27日、光仁天皇のかつて皇后であった井上内親王と、
 二人の間の子でかつて皇太子であった他戸(おさべ)親王が、同日に歿しました。

 正史『続日本紀』には、たった一文で記されています。

   井上内親王、他戸王並卒。

 井上内親王は宝亀3年3月に「巫蠱」(呪詛)の罪で皇后を廃されており、
 同年5月、それに坐して他戸親王も皇太子を廃され、庶人とされています
 (この時以後、正史の他戸の表記は「親王」から「王」となる)。


 井上内親王は聖武天皇の娘で、孝謙・称徳天皇の異母姉にあたります。
 聖武天皇やその祖・天武天皇と血のつながりのない久しぶりの天皇であった
 光仁の正統性にとって、重要な存在でした。
 光仁の即位は、井上内親王の男子・他戸が存在したため、ともいわれます。
 
 ところが二人は再び罪を得て、宝亀4年10月には「大和國宇智郡沒官之宅」へ
 幽閉の憂き目に遭います。その次の消息が、母子同日の死なのでした。

 常識的に考えて、普通の死ではなさそうですね。

 この間、宝亀4年正月に皇太子となっているのが、のちの桓武天皇です……!




 井上内親王は、717年の生まれで、今年生誕1300年を迎えます。
 旧宇智郡・奈良県五條市の御霊神社本宮では10月、1300年祭が予定されています。



 昨年、五條市が配布していた観光マップをいただきました

 井上地図


 ほんわかしたイラストのマップですが、いろいろな情報が載っています

 ちょっと面白いお話。
 五條には黒壁の家が多いそうですが、井上内親王が白壁(王)を思い出さないよう
 配慮した地元の人々の心遣いとか……黒壁の家並を見てみたいものです。


 

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