聖武天皇陵・仁正皇太后(光明皇后)陵
平城京の有名夫婦が眠る陵
5月2日、天平勝宝8年(756)に崩御した聖武天皇の祥月命日である本日は、
奈良時代の超有名カップル聖武天皇と光明皇后の陵 をレポートします。
ふたりの陵は奈良市きたまち地区にあります。
東大寺転害門から西へまっすぐ進み、佐保川を越えたあたりに位置します。
私にとって生涯二度目の訪問となったこの日(2016年秋)は、生憎の雨でした。
カメラのレンズに雨粒が……
陵入口の札には、こう書かれています。
「聖武天皇 佐保山南陵」「聖武天皇皇后天平応真仁正皇太后 佐保山東陵」
聖武天皇の皇后といえば、言わずと知れた藤原光明子(光明皇后)ですが、
聖武天皇の跡を継いで天皇となった娘の阿倍内親王(孝謙天皇、高野天皇)が
天武天皇の孫にあたる皇太子・大炊王(淳仁天皇、淡路廃帝)に位を譲った際、
阿倍の母である彼女に百官から贈られた尊称が中台「天平応真仁正皇太后」。
聖武天皇の崩御から2年後のことです。
位を降りたばかりの女帝にも上台「宝字称徳孝謙皇帝」の尊称が贈られています。
(以上、『続日本紀』天平宝字2年<758>8月1日条)
「孝謙天皇」「称徳天皇」の名はここから採られているわけです。
入口からまっすぐ参道を歩めば、聖武天皇陵です。
進んでいくと……
右に折れる参道が分岐しており、こちらを行けば光明皇后陵へ辿り着きます。
光明皇后が崩御したのは、皇太后となって2年後の天平宝字4年(760)のことでした。
『万葉集』に残る光明皇后の歌で好きな一首。聖武天皇へ贈る歌。
わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪の嬉しからまし(8-1658)
私個人的には聖武と光明子がベストカップルだったかどうかは微妙な印象ですが、
この歌は好きです(どのような場面で詠まれたか不明ですが)。
光明子にとって聖武は、ただひとりの夫ですものね。
聖武にとっても皇后は、とても大きな存在であったことに間違いありません。
聖武天皇陵の右側が仁正皇太后陵です。地図はハート形に見えます
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