史跡・難波宮~大阪歴史博物館
古代の都・副都「難波宮」とは?
645年の乙巳の変により、蘇我本宗家が滅ぼされ、天皇を中心とする新しい
政治体制がスタートしました。いわゆる大化の改新です。
即位した孝徳天皇は、飛鳥から離れた難波へ遷都し、652年、
難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)を完成させました【=前期難波宮】。
その後都は飛鳥へ戻りますが、壬申の乱(672年)を経て即位した天武天皇は、
難波宮を副都として機能させる方針を打ち出しました。
ところが686年、難波宮は大部分を火災で焼失し、副都計画も中断していました。
ただ、次の持統天皇・文武天皇らの時代にも難波行幸の記録はあり、
焼け残った施設も存在したと考えられています。
この難波を積極的に再興したのが、聖武天皇でした【=後期難波宮】。
726年から造営工事を始め、一時は首都と位置づけられました(744年)。
難波宮のあった地は、現在とは海岸線が異なっており、難波の海が迫る、
水陸交通の結節点で外交上の要衝でもありました。
難波宮以前の5世紀後半に倉庫群が置かれていたことも判明しています。
今回は、この難波宮の史跡を少し追ってみることにしました。
▲難波宮跡公園の大極殿跡付近から大阪歴史博物館を望む
まずは大阪歴史博物館へ~常設展示
難波宮のことを知るために、まずは大阪歴史博物館へ行ってみます。
難波宮跡公園からほど近い場所にあります。
7~10階の常設展示のうち、10階が古代のエリアです。
高さを利用している博物館って珍しい気がしますが、実は博物館の下も
難波宮の遺跡なので、土地を広く使えないという理由があるみたいです。
下の地図からわかるように、博物館の建物のレモン型も独特ですが、
これも遺跡への影響を最小限に抑えた形なんだとか。
1階の受付でチケットを買い、エレベーターで一気に10階までのぼります。
展示室へ入ると、片面がガラス張りで、難波宮跡公園が見下ろせます!
▲「難波宮AR」で撮影した写真、ARは次回ご紹介します。
CGの向こうに写っているのが実景、難波宮跡公園の大極殿跡が右端中央に見えます。
ん、博物館がガラス張り この片面のエリアは、史料の展示ではなく、
難波宮大極殿をわかりやすく復元したジオラマになっているのです(原寸大)!
フォトジェニックで素敵~
しばらくぶらぶら見ながら滞在していると、シャッターが下りて外界の光を遮断、
ライトアップされる時間があってびっくり
■無料装束体験
10階では「大宮人になってみよう!」という、奈良時代の官人の装束体験もあります。
偶然その日にあたっていたらしく、せっかくなので体験させてもらいました。
無料なので接客はそれなりですが(流れ作業で体験時間はほんの数分)、
服自体はとても良質のものだそうです! 服の上から手早く着付けてもらいます。
なんと、かつらまで被せられてちょっと恥ずかしい……
(写真も撮ってもらったけどブレブレだ~! 無料だしまあ仕方ない)
現在のところ土曜日の2週間に一度、定期的に行われているようですが、
変更の可能性もあるので、事前に館の公式サイトでご確認ください。
(トップ頁→「ハンズオン」→「日程をみる」)
大阪歴史博物館~難波宮遺跡探訪
大阪歴史博物館では、「難波宮遺跡探訪」と題して20分程度の遺構見学ガイドを
行っています(無料)。なんと博物館チケットがなくても参加できるらしいです。
「遺構」というのは、上述の通り、博物館も難波宮の遺跡の上に建っています。
館内に残る遺跡を説明してくれるというわけです。
エントランス床のガラス張りの下に遺跡が見える。
建物内外の床にデザインされた赤い丸は実際の柱の位置を表す。
地下には発掘したまま保存された遺跡をガラス越しに見学できるギャラリーが。
ここはガイドツアーに参加した場合のみ見ることができます。
ガイドツアー無料ですし、オススメです。ボランティアガイドさんによる説明のほか、
学芸員さんの回や、常設展示の解説回(チケットが必要)もあるそうです。
(実施時間など詳細は公式サイトをご覧ください)
大阪歴史博物館公式サイトトップページはこちら
次回は、難波宮跡公園へまいります☆
★史跡・難波宮2:難波宮跡公園編&AR★
【参考文献】
積山洋『シリーズ「遺跡を学ぶ」095 東アジアに開かれた古代王宮 難波宮』新泉社、2014年
パンフレット「難波宮 都市に埋もれた幻の古代宮殿」大阪市博物館協会大阪文化財研究所
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