永井路子『茜さす』
著者唯一の現代長編は、古代史にリンクする
永井路子さんの古代史小説を紹介するシリーズ。
今回は昭和61年(1986)9月21日から63年1月25日まで「読売新聞」紙上に掲載、
63年5月に読売新聞社から刊行された長編『茜さす』をご紹介します。
実はこの小説、舞台が古代ではなく、作者唯一の現代長編なのです。
▲新潮文庫版、平成3年
現代小説ということで、実は私も今まで敬遠して読んでいませんでした。
(…)女性に厳しい就職の現状を経験したなつみは、万葉の時代を風のように
駆けぬけた一人の女帝に目を向け始めた…。(…) (本書上巻裏表紙の紹介文より)
「現代の女性から見た万葉の時代、持統天皇か……」
と改めて思いいたると、興味が湧いてきたのでした。
さて、舞台が「現代」とはいえ、執筆され始めたのは1986年です。
主人公の女子大生「友田なつみ」は就職の時期を迎え、ジャーナリストを希望して
なんとか零細プロダクションに滑り込みます。
これがいつのころなのか?
まぁ新聞連載の現代小説ですから、当時の世相を反映したと考えるのが自然で、
1985年ころということになりましょうか?(⇒なつみは1960年代前半生まれ)
なつみの母方の叔母・圭子は、実は母の姉が戦時中に生んだ娘(つまり従姉)と
いう設定ですが、母と母の姉の年齢差が離れていればまぁ問題ありません。
1985年といえば、「男女雇用機会均等法」が制定された年。
現在とはだいぶ、社会や労働に対する感覚が違うのです!
もちろん現在でも男女均等になったとは到底思えない状況ではありますが、
なつみや周りの女子大生、女性、男性、みな悪く言えば“古臭い”部分があります。
全編を通してずっと問題となり語られ続けていくのが、女性の「性愛」の問題。
(キレイゴトではなく、ずばりセックスの問題も赤裸々に語られます)
う~ん、平成の世であれば、こんなに拘らないかなぁ(私は昭和生まれですが)、
といった印象を受けました。
女子大の学生たちの雰囲気、社会での働き方や心構え、受け入れる側の社会、
親や先生たちの感覚、そしてなつみ自身が語る「性愛」への拘り……
ちょっと前の時代なのに、女性はこんな感じだったの とかえって新鮮
ではこの長編、(狙っていなかったハズの感覚のズレ以外に)なにが面白かったか
私にとっては、作者が古代史の世界へ直に導いてくれるように感じられた点です。
印象的な場面の最初は、大学の万葉集ゼミで、額田王と大海人皇子の相聞歌を
めぐって授業が展開されるところです(表題の「茜さす…」の歌ですね)。
まだ学問に目覚めていないなつみは、助教授からの指摘にたじたじ。
歴史に対するさまざまな着眼点や解釈を示され、物語が動き出す始まりの場面です。
大学の授業を見ているようで懐かしく、私も小説の世界に惹かれ始めました。
万葉集のこと、古代のこと、調べていくうちに夢中になり、徐々に興味が広がり、
そして絞られ、なつみは持統女帝の生涯にぐんぐん惹かれていく。そして。
社会での失敗を経て、彼女は資金もないまま、発掘に参加するべく奈良・吉野へ発つ――
発掘現場で出逢った者や人々、ある男との議論、歴史の現場を歩く体験。
本当は古代女帝の愛や生き方を通して現代女性の云々といった主旨なのでしょうが、
私は単純に――
現代人であるなつみが古代史への思いから辿った道や、なつみが考えながら到達していく
歴史に関する推測(永井路子の古代史小説やエッセイで展開される論旨であったりする)、
そうした部分が面白く、背後に永井さんの執筆過程も感じられてワクワクしました
古代を舞台にした遠い昔のお話ではない。
現代を生きる私たちがどう古代と関われるのかの一例を、人生教訓めいたエッセイではなく、
現代を舞台にした小説というスタイルで示してくれています。
「なつみ」の名前も、実は両親が『万葉集』の歌(「吉野なる夏実の河の…」3-375/湯原王)
から採ったという設定も、古代とのつながりを感じて面白いです。
ひとつ悔やまれるのが、
この作品を読んだのがすっかり大人になってしまってからであったこと!
進路の定まらぬ高校・大学時代に、古代史よりもむしろこちらを読むべきだった――
まだ若い人にこそ、ぜひ読んでほしい一冊だなと思いました。
(表面的な古臭さを強調してしまいましたが、変わらないモノも根底にはありますしね)
ある程度年齢がいってしまっている場合は、過去を懐かしめる作品かもしれません。
■書誌データ■
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