斎宮女御(徽子女王)の一筆箋
三重県「いつきのみや歴史体験館」にて購入
「斎宮女御」(さいくうにょうご)とは?
未婚の内親王または女王がつとめた斎王。
彼女たちの中にはつとめを終えて帰京後、後宮に入内した者たちもいました。
そのひとり、村上天皇の女御となったのが徽子(きし/よしこ)女王。
醍醐天皇皇子・重明親王の第1女王。8歳のときに伊勢斎王に卜定され、
帰京後の20歳で父の異母弟にあたる村上天皇のもとへ入っています。
第4皇女・規子内親王をあげました。
長じて規子内親王も、伊勢の斎王に選ばれます。母娘二代の斎王です。
なんとそれだけでなく、徽子は娘に付き従い、ともに伊勢に下向したのです。
時の円融天皇は(村上天皇はすでに崩御)先例のないこととして止めましたが、
徽子は承諾を得ないまま決行、追認されました。
のちに成立する『源氏物語』六条御息所のモデルの一人といわれています。
徽子は和歌と琴にすぐれ、歌合も主催して、村上天皇の文雅の御代を彩りました。
天皇との相聞歌を含む優れた歌を残し、三十六歌仙にも数えられています。
入内した斎王はほかにもいましたが、「斎宮女御」といえばこの方です。
気になる一筆箋の中身!
この絵は海北友竹画<三十六歌仙図屏風>より「斎宮女御」。
題字は伊勢物語の写本からだそうです。(いずれも斎宮歴史博物館蔵)
制作は(公財)国史跡斎宮跡保存協会。
私は三重県明和町、斎宮跡の「いつきのみや歴史体験館」の売店で買いました。
確か300円台だったと思います(←不確実でスミマセン)。
中身はこんな感じでオールカラー 文字を書くところは料紙風のデザインですね
ところでこの絵の構図、以前東京国立博物館の歌仙絵特集で見たのと同じだ。
▲女房三十六歌仙絵(模本)/江戸時代・19世紀
式子内親王や斎宮女御(徽子女王)のような皇族は、
その高貴さゆえに顔をはっきりと描かれないことがお約束です。
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