永井路子『波のかたみ―清盛の妻』
「平家」の真の中心人物、平時子!
永井路子さんの古代史小説を紹介するシリーズ。
今回は、『婦人公論』昭和59年(1984)8月号から翌年12月号まで連載された長編、
平清盛の妻・平時子を扱った小説をご紹介します。
▲中公文庫版、1989年
永井路子さんの小説には、「○○の妻」として偉人の妻を描くパターンがあります。
妻本人も有名なものには豊臣秀吉の妻・ねね『王者の妻』、
名も知られていない女性では毛利元就の妻『山霧』など、
またタイトルに妻とはありませんが、古代史では藤原道長の妻・源倫子を主要人物に
据えた『この世をば』もそのパターンにあたるかもしれません。
清盛の妻・時子は『平家物語』の影響もあり、「二位の尼」として比較的有名でしょうか。
彼女は幼い孫の安徳天皇と神器を抱いて、壇ノ浦の「海の都」に沈みました。
物語は平安末期動乱の幕開け、保元の乱前夜から始まります。
清盛が本格的な全盛期に向かっていく第一歩です。
永井さんの“妻シリーズ”によくある展開ですが、最初はどこにでもいるような女だった妻が、
ごくごくフツーのオバチャン風を保ちつつも、試練を乗り越えるたびに強く(図太く)、
いつの間にか一族を支える存在になっている、この長編もそうしたストーリーです。
本編では思いのほか清盛は描かれておらず、時子とその血縁の人物に焦点を当てています。
時子は平清盛の妻だから平時子なのではなく、別の平氏にあたるのです。
(桓武平氏高棟流の堂上平氏で、むしろ清盛より家格は高い)
時子と父母を同じくする弟・平時忠、異母妹で後白河に寵愛される平滋子(建春門院)、
そして時子の生んだ子供たち――宗盛、知盛、重衡、そして徳子(建礼門院)。
最後のクライマックス、壇ノ浦の戦いでの時忠が印象的です。
「お気づきになられませんか、姉上」
「何を」
「今日敗れたのは武門の平家です。私たちはいずれも平時信の血を享けた
公家平家じゃありませんか」 [452頁]
さらに、清盛の父・忠盛の妻である藤原宗子(池禅尼、彼女は崇徳天皇皇子・重仁の
乳母でもあり、乳母の重要性なども永井小説の常ながら物語内で繰り返される)や
建春門院平滋子など、聡明な女性たちの活躍も存分に描かれています。
そのなかで異色の女といえるのが、時子の娘・平徳子、つまり有名な建礼門院です。
いいのかな というくらい愚昧な女に描かれています!!
その「無表情」はもはやホラーの域です!
永井路子さんは(そして杉本苑子さんも)建礼門院がお嫌い……
杉本苑子・永井路子共著の対談、『ごめんあそばせ独断日本史』では……
壇ノ浦で入水したのに助けられた建礼門院へのディスの嵐! [中公文庫、2007年、137頁]
「それをブカブカ浮いてしまって……。(笑)」(杉本)
「あれは何だ、というわけよ、まったく。ハッハッハ」(永井)
(中略)「感情の起伏がないのね、平板なの(後略)」(杉本)
……だそうです
永井小説には女性の意外なほどの活躍も多く描かれますが、反面、
時折こうした意地悪な(?)描写をされてしまう女性も出てきますね。
(私が強烈に覚えているのは『美貌の女帝』のラスト、のちの孝謙・称徳女帝です)
滋子が死に、清盛も世を去る。生さぬ子の重盛もいない。追い詰められる平家。
滋子の代わりにはなりえない、認めたくはないが無能なわが娘・徳子。
気が付けば周りは、壇ノ浦の最後まで付き従ってきた異父弟の能円も含め、
ほかならぬ時子の血縁で固められているのでした。
しかし泣き伏している場合ではなかった。時忠が言ったように、いまここにいるのは、
母を同じくする自分と時忠と能円、そして自分の子供たち――。
重大な局面にぶつかったいま、それらのすべてを背負いきって、
ゆくてを決めなければならないのは自分なのだ。(…) [411頁]
■書誌データ■
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